頑張る事をやめようと思ったけれど
こんにちは。
リカです。
日常、Relationshiftの取締役として、母親として、妻として、地域の住人として、いつも頑張っていました。
でも頑張るって実は以下の意味があるんです。
1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。「―・って自説を譲らない」
3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」
でもって、一応1番を目指しているはずが、実は2,3の意味に摩り替わっている。
そんなことってありませんか?
私も、自分では頑張っているつもりでも周りにはそんなこと望まれていなかったということが沢山あります。
自分は頑張ろうと一生懸命なときほど周囲を見れていない
よく、Relationshiftのメンバーにも言われますが、
「パンダさん(私のあだ名です)は頑張らなくていいよ~」
といわれます。
「休んだほうがいいし、無理しないでくださいね~」
そう言われると私の中でピコーンとこんな思考が発生するのです。
『それは私が価値がない人間だからそんなことを言われているのか?』
そんな意図はメンバーにないのを知っているのにこの思考があがってくる。
いや~、これ意識化していなかったから揉めるやつですよね。
周囲は、頑張りすぎるから休めといっているのに、それを受け取れないパンダ。。。。
これっていかがでしょうか?
でも、振り返ってみてください。
あなたにもそんなことありませんか?
相手の言葉には裏があると思って素直に受け取れないことって。
なぜ、言葉の意味を自分の思いたい通りに聞いてしまうのか
これには、いくつかのポイントがあります。
1つ目は
『相手が発している言葉自体が自分のイメージしていることと違うことを理解していない』
だからこそ、自分の取りたい言葉のイメージで話を聞いてしまうんですね。
2つ目は
『自分自身に対して不信、不安がある』
これは、内面を見ていくと分かっていくことですが、自分に対してそんな言葉なんてかけられるはずがないと思っている状況です。
だから、受け取れないですよね。その言葉自体の素直な意味。
3つ目は
『ひとりで分かったつもりになっている』
よく、人間は自分自身のことが一番わかっていないといわれると思います。
そして往々にして変化を起こそうとするとき学んだあとひとりでできると思って、周囲の力を使わずにやろうとしてしまうのです。
だから、人の言葉が耳に入ってこない。そして自分自身の言葉に酔いしれてしまう状況になってしまいます。
自分は分かっているの罠
昔、私は分かっていると思っていました。
傲慢ですよね。
でもその傲慢さに気付けないのが人間なのだなとつくづく思います。
その傲慢さに気付けたのはやはり、Relationshiftのメンバーのおかげです。
4人で自分の正しさを消す作業をずっとこの1年関し続けました。
色々破綻しそうになったし、大喧嘩したりと大変でしたがとても楽しい1年でした。
さて、2年目なるわけです。
私も頑張る事をますますやめたいと思っています。
あなたも、自分の正しさを本当に気付いていますか?