人生の質は“問い”で決まる
人は1日に6万個の事を考えるといいます。
営業マンのあなた、6万人とコミュニケーションをするとしたら、どれだけの時間がかかりますか?マーケッターのあなた、6万人に確実にリーチできるマーケットを開発するとしたら、どれだけの時間がかかりますか?婚活中のあなた、6万人の男性と会うとしたら、どれだけの時間がかかりますか?
数字遊びではありますが、なんとそれを、あなたの考えでは1日で行うことができるわけです。ということは、その6万にも及ぶ考えの質が問われてきますね。日常に考えていることが、現実になりますから。
例えば私はビールが大好きですから、「あ〜ビールのみてぇ」とかいう考えが何百回か何千回は出ているわけですね。「今日はアサヒか、キリンか、はたまたサッポロか?」なんて。
ビールの話はまだいいのですが、マーケッターならばターゲットを決めますね。その際に「こんな感じの人がターゲットなんだよなぁ」と思っているのですが、どうしても自分のイメージが付随してきてしまい、同じようなターゲットばかり想起されてしまうなんてことはありませんか?
営業マンも同じですね。営業トークを考えます。その際に「このトーク、鉄板トークなんだけど、なんだか最近上手く行かないんだよなぁ」なんてなったことはありませんか?
その時に、必要な言葉が何かというと、“問い”ですよね。マーケッターならば「マーケットは何を必要としているんだろう?」と「より深い深層心理を理解し喚起させるツールはなんだろうか?」という質問では自分の立ち位置が変わってきますね。前者はマーケットを観察する側、後者はマーケットを創る側になれるわけです。
営業マンならば「どんなトークをすれば売れるんだろう?」と「なぜ同じプレゼンをしているのに、この人は買って、この人は買わないんだろう?」という質問でも変わってきますね。目の前の人に売ることを考えているのと、共通性や仕組みをみようとしている違いです。
質問によって、あなたの観点が決まっているように見えますが、実は既に観点が固定しているから質問も固定しているわけですね。
質問の質によって出会う人や関係性の質までをも実は決定しているんです。
なぜ、問いを生み出す際に“No”が必要なのか?
現在は検索すれば、またはOK googleと言えば常に答えてくれる便利なITがあります。更には自発的に考え回答を導き出す人工知能までも出てきています。更に、日本人は事なかれ主義ですから、否定が嫌いで曖昧が大好きです。
そんな背景があると、私たち一人一人が質問を考える土壌は育ちません。つまり、質問を考えることが苦手だと言えます。
では、質問とは何でしょうか?
それは、分かると分からないの境界線の線を引き直す作業ではないでしょうか。幼い頃、勉強が分からない時に「何が分からないか分からない」と私は父に言ったことがありますが、「それじゃあ何を答えればいいか分からないよ」と言われたことがありました。
確かにその通りです。何が分からないのかが分からないと、分かるための質問が生まれません。
これはテストにおける暗記教育にかぎらず、議論の時も同じ話しです。私は◯◯の意見に反対である。だからなぜ賛成なのかが聞きたいのである。と。
しかし、自分のこだわりが強ければ強い内容ほど、NOの次に質問が生まれません。つまり、境界線を引き直す作業をしたくなくなります。なぜでしょうか?
それは、人間のInput方式とOutput方式の構造上、境界線を引き直せないからです。
更に言えば、情報が増え続けており、そのような時に別の意見を取り入れる余裕すらないですから、引き直すどころか、逆に境界線を強固にしたくなり、質問すらしたくなくなります。
人類800万年間、ずっと変わらない問題が対人関係の問題ですから、人工知能が発達したとしても、この問題は終わらないでしょう。だからこそ、人間のInput方式とOutput方式の構造上の問題を解決することで、互いのNO(違い)を楽しめる人間関係を築いていけるのです。